今までダイヤモンドリリーと関わってきて、今年ほどの激動な一年間はありませんでした。「オリンピックへの挑戦」ビクトリーブーケのために開花調整をして花を咲かせる目標を掲げた5年間の集大成ともいえる年。まさかの新型ウイルス・コロナ渦に巻き込まれ、すべてが夢物語で終わってしまいました。オリンピックが延期され、仕込んでいたダイヤモンドリリーが行き場所を失ってしまった事。生産の段階でも夏の長雨による球根へのダメージ、その後の酷暑による花へのダメージ、球根を冷蔵庫に入れるなどの酷使した影響による枯死。正直なことを言うと、横山園芸で生産をしてきた量(約5万球)のうち、今年の冬の時点で25%くらいの球根(役1万球)を試験栽培したことによって、腐らせてしまった結果となりました。ダイヤモンドリリーにとっては、「人災と天災が重なった」ような想いをしているのではないかと、申し訳ない気持ちになりました。
しかし、この挑戦はダイヤモンドリリーにとっては大きな発展への一歩となりました。原産国である南アフリカの大使館を通じてダイヤモンドリリーが世界的な状況を共有するきっかけとなり、世界的に生産量が激減していること、失われてしまった自生地の変異(様々な原種や、花色など)を維持している生産者がいるという事実ということをもとに、ダイヤモンドリリーが咲き誇る南アフリカの大地を取り戻したいと言いう目標を明確に伝える機会を頂きました。2019年には正式に「ダイヤモンドリリー帰還プロジェクト」を立ち上げるまでに至りました。今後はまず日本国内でダイヤモンドリリーの認知度を上げ、プロジェクトに賛同してくださる方を増やすことを目標に活動を続けていこうと強く決意をしました。

父親がダイヤモンドリリーの輝きと魅力に取りつかれ生産を始めた四十数年前の、全く売れなかった時代から比べると、徐々に認知度が上がり大きな一歩を踏み出したことは間違いありません。なんでも挑戦や革命を起こす際には痛みを伴うことが多いと言われます。
横山園芸の温室の中は、大量の球根がダメになったことによってできたスペースができました。そこで品種改良の結果を見るための植え替えられた育種実生株が成長し、次々と花を咲かせるようになり、今までに見たことがないような、驚くべき新色の出現もありました。
実は自分が就農して父親の家業を継いだとき、まず行ったのが球根の整理でした。花の咲かない球根(開花率が悪い)、性質的に弱い品種(増えにくい、茎が弱いなど)を選別して、今回の量くらいの球根を処分した経験があります。父はもったいないからと捨てられなかったことを、次なる目標のために自分が行い、優良品種を増やし、時代を先取りした新色を増やしたり、また新しい品種改良の方向性を掲げたことによって、新しい道が開けてきました。流行の波は1年、5年、10年、15年と言われますが、ダイヤモンドリリーは品種改良をしても本格的な結果が出るのが15年くらいかかります。まさに、父親がやってきたことを自分が大幅に変え、自分がやってきたことは「オリンピックへの挑戦」ということで自分自身を大きく変えたと言っても過言ではありません。
苦しくもあり、辛いと感じることが多かった1年でしたが、今まで積み上げてきた生産方法や品種、方向性を振り返り、次なる15年先を見るきっかけとなり、結果として将来プラスになっていくんだと信じ、強く突き進んでいく前向きな気持ちになりました。1年に1本しか咲かないダイヤモンドリリー達。毎回を大切に、全力で向き合わないといくら時間があっても足りない。このダイヤモンドリリーと共により輝く、明るい未来のために。

今年一年、色々な面で応援してくださった皆様、本当にありがとうございました。
自分の一人の夢でなく、多くの方々と想いを共有してやっていけることが、どれだけ大きな力になるのかということも感じました。是非とも気長にこのお花とお付き合いして頂けると幸いです。今後ともよろしくお願いいたします。

横山園芸
横山直樹


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